pokupo931の日記

排泄物

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大して面白くもない記事を読んだ。やはり他人のブログなど私にとっては道に落ちてるウンコと変わりがないと常々思う。落ちていたらつい気に留めてしまうし、一時的にオエッとはなるが、大して実りも面白みもなくただただ己の時間をそんなことに消費してしまったという虚しさだけが残る。
というのも、理系クソ学生である私は一応その自覚がある訳で、同じ道を歩む先人のありがたいご忠告に耳を傾けるのも良いな、と、まぁ実りを期待して他人のウンコを嗅いでみちゃったんですね。先人のウンコだから。
いやーーーーーーーー時間の無駄だった!超無駄!ウンコってやっぱウンコだわ!!ただただ悪戯に将来の不安を煽られ、今までの努力や信念を忘れて自分の選択に疑問を持つことのなんと不毛なことか。イチゴ味のラムネが美味い!クソ学生とはいえ確かに信念があってこの道を選んだのだ。私が怒られるより褒められた方が伸びるタイプなのもあるが、何故顔も素性も分からないような輩のウンコに不安を煽られなければならないのか。ブログはやっぱり公開便所であることを忘れてはならない。その上で進んで便所を公開する輩と接する苦しみ?お役立ち情報を載せて広告料で儲けようとしてるならともかく、日常の些細な排泄的思考、つまり自分のウンコをより多くのひとに見てもらいたいというその心……とにかくツイッターを提案したい。
そんなことを書いてはいるが、実は夢中になって嗅いでしまったウンコがある。自殺した知り合いのブログだ。
その知り合いは文章力があったと思う。躁鬱状態の心をこれでもかと書き記していた。結果は変わらないのに、少しでも躁状態の明るい記事を読むとそのまま一生人生を謳歌してくれ、と 祈るような気持ちになった。結果は変わらないのにね。でもそのブログで、私は知り合いの自殺に同情と共感の念を持てたのだった。今時自殺なんて珍しいものじゃない。もっと仲の良い知り合いも自殺したが、正直全く現実みが湧かなかった。せいぜい現場にはられたブルーシートの写真をネットニュースで見て、少し眉をひそめた位である。薄情だろうか?実感や体験が伴わないものって往々にしてそんなもんじゃないだろうか。男は月イチの大量出血に苦しんでる女の気持ちなんて実際の所分からないし、健常者はそれ以外の人間の気持ちなんて知る由もないのだ。そこを理解して、気を付けなければならないと思う。
気持ち悪いのはそのブログを読んで死人に寄り添った気持ちになり、呼ばれてもいない葬式に行って大泣きする他人である。共感力が強い!といえば聞こえは良いが、生きている間に知り合う以上に関わらなかった事実は消えないのに、ブログを読んだだけで死ぬまで至った苦しみに完璧に寄り添った!という思い上がりも甚だしい気分になる他人。私はブログのこれが嫌いなのだ。知った気になってしまう。寄り添った気持ちになってしまう。
私が今日読んだ先人のウンコも似たようなものだ。私はまんまとウンコを嗅いで、不安を煽られてしまった。言霊…とはちょっと違うが、ことばとはそれ程まで力を持っていると思う。一時的に寄り添った気分になったということを自覚して、でもそれがウンコの主の全てではないことを決して忘れてはならない。人間は側面、いやウンコからだけでは図れないものなのだ。
体良くまとめたがウンコに注意すべし、それだけ。