pokupo931の日記

排泄物

10

脱水症状と低血糖でぶっ倒れた。何もやる気が起きなくて30時間ベッドで天井を見つめたり微睡んでいたのだが、突然飛び起きて台所へ。頭の隅っこで命令してないのにフラフラ動き出す身体を不思議に思いながら、もしかしたら自分が認識しているよりヤバい状態なのかも、と考えていた。台所で歯を磨いている時 両手が痺れてきたのを感じた。手がどんどん強ばって歯ブラシが持てない。 胸が気持ち悪くて仕方なく、目がチカチカして視界がどんどん不明瞭になるのを感じた。耳が聞こえなくなっていく。歯磨きしてる場合じゃないかもしれない。水。水を飲まなきゃ。口をだらりと開けて歯磨き粉を出し、冷蔵庫に向かったところで意識が途切れた。人間が叫ぶ音で意識が戻る。といっても混濁していて、自分が今なにをしてどういう状態なのかも分からなかった。とにかく水 水を一刻も早く飲まなきゃ死ぬ。冗談じゃなく死ぬ。結局台所で後ろ向きにぶっ倒れたまま動かなくなって、人間とは思えないほど唇は真っ白に、顔は青ざめ、口を震わせながら虚ろを見つめていたらしい。母親が起きてて良かった。午前4時の出来事である。
一切記憶がないのだが、母親によって頬を叩かれ、目は開いているものの一切反応がないので口をこじ開けられ、水と牛乳とお茶とチオビタドリンクのいい奴を流し込まれた。らしい。目も耳もダメになって、手足はガチガチに強ばり一切動けない。人形のようになっていた。
記憶としてあるのはチオビタドリンクを入れられてから。チオビタドリンクゴールドはすごい。流し込まれた瞬間目が見えるようになって、意識も肉体に戻ってきた。耳も少し良くなった。チオビタドリンクと母親は命の恩人だ。とにかくそれまでの記憶は夢のようにあったりなかったり、記憶とも呼べないようなものだったが、母親が言うには 生きたい、生きたい 水、ヤバい 生きたい。とうわ言を繰り返していたらしい。これが生存本能か。全く記憶がない。 それからコーンスープを少しずつ飲まされた。耳が聞こえるようになったが手足が動かない。どんなに力を入れてもブルブルガチガチと震えるだけ。呂律も回らなかった。固形も食べれます
、固形も食べれます。と言った。コーンスープのコーンが食べたかったので。
目と耳が使えるようになって、意識もしっかりしてきた。本気で死にかけてる自分にちょっと笑うと笑い事じゃないわよ、と母親に怒られた。当たり前だ。何もしないせいで死にかける子供をもって可哀想だなこの人は、と同情した。手足が動かないと言葉に漏れていたらしい。手を揉んでくれた。変わらず動かないが少し嬉しかった。頭の隅で後遺症、とかチアノーゼ、とかいう言葉がグルグル回っていた。知識量が足りない。嫌になっちゃうな。
家にあるご飯がマックしかなかったので、マックを食べた。いつもよりしょっぱく感じたが、美味しかった。手が変な風に絡まって全く動かないので、フォークを両手で固定して口に運んだ。ハッシュドポテト、チキンナゲット、なんとかマフィンを食べた。久しぶりのご飯なのに身体に染み渡るような感覚もなく、チキンナゲットくらいから味に飽き始めていた。生きるための食事だったので嫌々食べたが、平時からマックはあまり美味しくないと感じるのも最もだなと考えていた。沢山栄養を摂って手が突然動くようになった。まだ少し痺れはあったが、親指と人差し指がボンドで固定されていたのに比べれば全然マシ。この辺から汗が吹き出てきて、母親がいなかったら本当に台所でのびて死んでいたという実感に襲われる。生きていて良かった。生きていて、良かった。
プリンを食べた。生きるのに必要な糖分を感じる。お腹はいっぱいだったけど糖分が欲しくて無言で口に運んだ。足が動くようになってきた。栄養が身体中に散らばる。食べて生きているんだな。
それから少しずつ水やらジュースやら飲みながら今に至る。怒涛の2時間だった。唇は赤く、食べすぎて気持ち悪いが意識も明瞭。覚え書きとしてここに記す。まだ手に痺れが残るが次期とれると思う。
介抱してくれた母親と、チオビタドリンクに感謝。どんなに無気力でも、少しでいいから水分と栄養を摂ってくれ。私も、これを何らかの間違いで読んだ人も。じゃないと本当に取り返しのつかないことになる。生きたいとうわ言を繰り返す自分が本物だと分かったので、今日からは健康的な生活を心掛けたい。健康的な生活を送るのってめちゃくちゃ難しいけどさ。