pokupo931の日記

排泄物

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秋の夜長だし大量に摂取した糖分と詰め込んだ記憶が脳内でグルグルと回っているので久しぶりに些細な排泄的逡巡を。リポビタンDとコーヒーガブ飲みも合わせて吐きそう。
本当に死のうとしていた時期があった。持病が悪化して見た目にあらわれ、街ゆく人の”見てはいけない”という視線に晒されていたころ。顔が赤黒く、ケロイド状だったので前髪を長くして下を向いて歩いていた。持病の薬の副作用で1日の20時間を睡眠に費やしていた。学生だったので学校に行かなければならず、通学中に何度も車に轢かれかけた。気付いたら電車の床で丸くなって寝ていたことがある。人間死ぬほど眠いと、どんなに歩いていても食事をしていても意識が遠のき目蓋が無意識に落ちて開かなくなるものだ。眠くなるという状態を嘗めてはいけない。自分の意識どうこうでなんとかなるものでは無いのだ。学校にその旨は伝えていたが、まぁ当事者じゃない人間のしょうがない所ではあるものの やはり教師には理解されず。眠くなるという状態を精神論で叱られていた。もうどうにもならなくて、とりあえずブラックコーヒーだけは毎日胃にガボガボと流し込んでいた。笑っちゃうけど日本のトップを沢山養成するような学校だったので当然授業進度は鬼早く、また私は1限から6限までぶっ通しで寝てしまう状態だったので一瞬で置いていかれてしまった。要するにめちゃくちゃな落ちこぼれであった。思い出すだけでも死にたくなる生活。毎日吐くまでコーヒーを飲んでも起きていられず、廊下ですれ違う人と目が合ってぎょっとされる。駅で知らないお婆さんに同情され、母親には女の子なのにごめんねと泣かれる。教師に叱られた通り、自分の心の弱さがいけないと思っていた。もうなんでもいいから自分を罰したくて、罰を受けることで生きていてもいいと思いたくて自傷にはしっていた。趣味の絵を描いている時間だけが命の救いだった。何度も自分が色々な方法で死ぬ絵をかいていた。
遺書を用意して自殺する方法を書き連ねて、そこで悩んでしまった。どうやって死のう。
手っ取り早いのは飛び込みだったがあれは周りに迷惑がかかりすぎると思った。死ぬ時くらい安らかに逝きたい。色々悩んでいるときにふと首をじんわり絞めると、物凄く気持ち良い!本当は気持ち良い訳がないのだが、その時は本当に身体全体がふわりと軽くなったと思った。それから私は、自分の首をじわじわと絞めるのがクセになった。本当に死にたい脳が、死を感じる瞬間に快感を与えてくれるなんて人間って本当に不思議だ。
怒涛の青春時代だったのでそこからどう生きてきたのかもはや朧気だが、タイミングを逃しまくり運良く?悪く?結局生きている、といった感じである。今はもうほとんど落ち着いて、人間らしい生活を送っている。やりたいことも見つけた。おかげで現在午前3時、膨大な知識を脳みそに詰め込んで必死に学んでいる。地獄が終わって良かった。本当に、良かった。
教師が苦手だ。トラウマになっているのだと思う。人の視線がダメだ。やっぱりこれもトラウマになってる。
この経験は誰からも理解されない。当事者じゃないからしょうがないのだ。自分の経験が理解されない代わりに、他人の経験も真に分かることはないと心から思う。だから私はこういう人達を助けることはできない。精神科にはどういう人が行くのかな。
病気によって顔が醜くなることで鬱病にかかり 死んでしまう患者さんが多いと聞いた。それを聞いた周りは全くピンとこない顔であった。直接死に繋がるような病気の話の後だったから、なにもそんな外見くらいで死ぬこたないじゃんって空気だった。その話の間、私はずっとこわばった顔を上げられなかった。直接的なものだけが、死に至る病ではない、と思う。
生きるのって本当に難しいし、他人は理解できないから気持ち悪くて怖いし、視線を恐れすぎていつも誰かに見られているような居心地の悪さがある。電車の床に崩れるように寝てしまう学生に席を譲ってくれた人はいなかった。私の顔を見てぎょっとした後思わずといった感じで声をかけた新任教師は、口をパクパクさせたあと何故か謝ってどこかへ行ってしまった。それでも、それでも私は何も変わらず一緒にふざけてくれる友達に救われたし、絵を描く間は生きているのが楽しくて、私は今、誰かを地獄から救いあげれるような人間になりたい。私は理系クソバカ人間なので、人の気持ちを言葉だけで上手く軽くしてあげることはできない。勉強しなきゃ私に人は救えない。地獄って本当に怖いのだ。それだけは知ってるので、勉強に戻る。
今日のうんこはクセーな