pokupo931の日記

排泄物

11

何もかも上手くいかなくてクシャクシャになってる。こんなに愚かで頭が回らないのに努力すらできない。うううん他の人もこんなに辛いのか?他の人になったことがないから分からん

久しぶりに世の中から消え失せたい欲とたたかっている。死にたいのではなく、消え失せたい。存在をなかったことにしたい。いなくなりたい。

上に上に階段を登り続けてベットした掛け金を取り返すのにもう引き返すこともできず、身の丈に合わないハードルに勢いよくぶつかって死ぬ。そんな感じ。どうやってこの高い塔をなかったことにすればいいのかもう何もわからない。どうしたら死なずにこの塔から降りれるのか、ハードルから逃げられるのか、考えてる暇があったら1個でも多く薬の名前でも頭に叩き込んどけ  はい アー

最近本を読む時間すらなく、カスみてえな語彙で恥ずかしい。


音楽で頭を麻痺させながら便器をかかえて勉強する。人間の尊厳、気高さ 取り上げられちゃったな

10

脱水症状と低血糖でぶっ倒れた。何もやる気が起きなくて30時間ベッドで天井を見つめたり微睡んでいたのだが、突然飛び起きて台所へ。頭の隅っこで命令してないのにフラフラ動き出す身体を不思議に思いながら、もしかしたら自分が認識しているよりヤバい状態なのかも、と考えていた。台所で歯を磨いている時 両手が痺れてきたのを感じた。手がどんどん強ばって歯ブラシが持てない。 胸が気持ち悪くて仕方なく、目がチカチカして視界がどんどん不明瞭になるのを感じた。耳が聞こえなくなっていく。歯磨きしてる場合じゃないかもしれない。水。水を飲まなきゃ。口をだらりと開けて歯磨き粉を出し、冷蔵庫に向かったところで意識が途切れた。人間が叫ぶ音で意識が戻る。といっても混濁していて、自分が今なにをしてどういう状態なのかも分からなかった。とにかく水 水を一刻も早く飲まなきゃ死ぬ。冗談じゃなく死ぬ。結局台所で後ろ向きにぶっ倒れたまま動かなくなって、人間とは思えないほど唇は真っ白に、顔は青ざめ、口を震わせながら虚ろを見つめていたらしい。母親が起きてて良かった。午前4時の出来事である。
一切記憶がないのだが、母親によって頬を叩かれ、目は開いているものの一切反応がないので口をこじ開けられ、水と牛乳とお茶とチオビタドリンクのいい奴を流し込まれた。らしい。目も耳もダメになって、手足はガチガチに強ばり一切動けない。人形のようになっていた。
記憶としてあるのはチオビタドリンクを入れられてから。チオビタドリンクゴールドはすごい。流し込まれた瞬間目が見えるようになって、意識も肉体に戻ってきた。耳も少し良くなった。チオビタドリンクと母親は命の恩人だ。とにかくそれまでの記憶は夢のようにあったりなかったり、記憶とも呼べないようなものだったが、母親が言うには 生きたい、生きたい 水、ヤバい 生きたい。とうわ言を繰り返していたらしい。これが生存本能か。全く記憶がない。 それからコーンスープを少しずつ飲まされた。耳が聞こえるようになったが手足が動かない。どんなに力を入れてもブルブルガチガチと震えるだけ。呂律も回らなかった。固形も食べれます
、固形も食べれます。と言った。コーンスープのコーンが食べたかったので。
目と耳が使えるようになって、意識もしっかりしてきた。本気で死にかけてる自分にちょっと笑うと笑い事じゃないわよ、と母親に怒られた。当たり前だ。何もしないせいで死にかける子供をもって可哀想だなこの人は、と同情した。手足が動かないと言葉に漏れていたらしい。手を揉んでくれた。変わらず動かないが少し嬉しかった。頭の隅で後遺症、とかチアノーゼ、とかいう言葉がグルグル回っていた。知識量が足りない。嫌になっちゃうな。
家にあるご飯がマックしかなかったので、マックを食べた。いつもよりしょっぱく感じたが、美味しかった。手が変な風に絡まって全く動かないので、フォークを両手で固定して口に運んだ。ハッシュドポテト、チキンナゲット、なんとかマフィンを食べた。久しぶりのご飯なのに身体に染み渡るような感覚もなく、チキンナゲットくらいから味に飽き始めていた。生きるための食事だったので嫌々食べたが、平時からマックはあまり美味しくないと感じるのも最もだなと考えていた。沢山栄養を摂って手が突然動くようになった。まだ少し痺れはあったが、親指と人差し指がボンドで固定されていたのに比べれば全然マシ。この辺から汗が吹き出てきて、母親がいなかったら本当に台所でのびて死んでいたという実感に襲われる。生きていて良かった。生きていて、良かった。
プリンを食べた。生きるのに必要な糖分を感じる。お腹はいっぱいだったけど糖分が欲しくて無言で口に運んだ。足が動くようになってきた。栄養が身体中に散らばる。食べて生きているんだな。
それから少しずつ水やらジュースやら飲みながら今に至る。怒涛の2時間だった。唇は赤く、食べすぎて気持ち悪いが意識も明瞭。覚え書きとしてここに記す。まだ手に痺れが残るが次期とれると思う。
介抱してくれた母親と、チオビタドリンクに感謝。どんなに無気力でも、少しでいいから水分と栄養を摂ってくれ。私も、これを何らかの間違いで読んだ人も。じゃないと本当に取り返しのつかないことになる。生きたいとうわ言を繰り返す自分が本物だと分かったので、今日からは健康的な生活を心掛けたい。健康的な生活を送るのってめちゃくちゃ難しいけどさ。

9

命は大変尊い。与えられた命を捨てようという時点で大罪を犯している。それなのに楽に死にたいなんて烏滸がましいにも程がある。(要約)みたいなキレ方をしている後輩がいた。私はこの人のな〜んにも分かってなさそうな論調にちょっと笑っちゃったし最近彼氏が出来てラブラブ幸せ絶頂!だった人だと思い出した。私の自論"自殺願望者に厳しい人は現在幸せな人間である"がまたも当たっていたので。
Twitterでよかった。誰も気に留めないから。これがもし、死にたくて死にたくて誰かにきいてほしくて、受け止めて欲しくてやっと友達に相談した人への返答だったりしたらと思うと恐ろしい。私だったらそんな風に責められたら泣いて世の中の全てに謝りながら首を吊るだろうな。
そもそも自然に死にたくなる生き物はいない。死にたくなるのは環境的なストレスによって脳の扁桃体やらが過活動することで自殺したく"ならされる"のだ。日本語が変だな まぁいいや。つまり"環境に自殺願望を植え付けられる"が正しい。死にたい人間の心のせいではないのだ。この場合心が何かについて議論しなきゃいけないけれども。
好きで死にたくなった訳じゃない人間を、それ以上責めるのって人として優しさがなさすぎじゃない?と思うわけである。
そうじゃなくても死にたい人間は世の中の色々なことに対して罪悪感を感じている。自己肯定感が恐ろしく低いので、ご飯を食べることとか、そういった生命活動そのものを申し訳なく感じているし、生きていていいのか?許されていいのか?と常に悩んでいる。私はそうだった。そんな人間がせめて せめて死ぬ時は楽に…と思うことが我儘だ!なんて じゃあ〜もう全てが我儘で烏滸がましいよ〜〜。お前に許されても誰も嬉しかないけど、それでもそんなささやかな望みくらい許してあげてよ。死にたい人間はたくさん頑張ってる人なんだよ。許してやってよ〜〜。
幸せな人間は共感力が極端に衰える。自分は幸せだから。他人の不幸なんて全然分からなくなっちゃうし、なんなら正論でマウントとってボコボコに殴っちゃうのだ。正論で一方的に殴るのは気持ちがいいから。
私も最近わりかし幸せなので、こうならないよう本当に気をつけなきゃいけないと思った。新年あけましておめでとうございます。

8

虚栄を張ってしまう自分が恥ずかしくて気持ち悪い。最近欲しい言葉がでてこない。暗黒の青春時代を送ってきたのでその辺に話題が向くとすぐ成績が悪かったという自虐ネタを使ってしまう。悪かった理由は人生的にカンタンに言えるような代物じゃないので触れずにすると、でも今は成績いいじゃ〜ん不良だったんだ笑 みたいなことを言われて終わり。ころしてくれ。ちがう、今を褒められたくてそんな話をしたんじゃない、ただ理系なのに余弦定理もまともに知らなかった高校3年受験期っていう笑い話なんだ。お前考えてみたら頭良いガッコー通ってたもんな。いやちがう 頭がいいのは周りの人間で、私はちっとも追いつけなくて、ボロボロで、死のうと思ってたんだ。全部いってしまえばいいのに、可哀想な人間だったことを言いたくなくて、そんなことがあったんだよく乗り越えたね可哀想に頑張ったねとか言われたくなくて、まぁね みたいな反応をしてしまった。嫌味なやつめ、そういう友達の顔。褒められたいんだろ、褒めておけば満足だろ、という視線。考えすぎだろうか。視線がこわい。懺悔 ころしてくれ。ごめんそんなつもりじゃなくて、ただの笑い話だったんだ。もう笑い話にしたいんだよ 今は違うと思いたい。自傷の名残りを自分に見つける度に、いつかまた持病が悪化して逆戻りするんじゃないかとおもう。そうなったらもう耐えられない。またネットの海に膿を捨ててしまった。

7

秋の夜長だし大量に摂取した糖分と詰め込んだ記憶が脳内でグルグルと回っているので久しぶりに些細な排泄的逡巡を。リポビタンDとコーヒーガブ飲みも合わせて吐きそう。
本当に死のうとしていた時期があった。持病が悪化して見た目にあらわれ、街ゆく人の”見てはいけない”という視線に晒されていたころ。顔が赤黒く、ケロイド状だったので前髪を長くして下を向いて歩いていた。持病の薬の副作用で1日の20時間を睡眠に費やしていた。学生だったので学校に行かなければならず、通学中に何度も車に轢かれかけた。気付いたら電車の床で丸くなって寝ていたことがある。人間死ぬほど眠いと、どんなに歩いていても食事をしていても意識が遠のき目蓋が無意識に落ちて開かなくなるものだ。眠くなるという状態を嘗めてはいけない。自分の意識どうこうでなんとかなるものでは無いのだ。学校にその旨は伝えていたが、まぁ当事者じゃない人間のしょうがない所ではあるものの やはり教師には理解されず。眠くなるという状態を精神論で叱られていた。もうどうにもならなくて、とりあえずブラックコーヒーだけは毎日胃にガボガボと流し込んでいた。笑っちゃうけど日本のトップを沢山養成するような学校だったので当然授業進度は鬼早く、また私は1限から6限までぶっ通しで寝てしまう状態だったので一瞬で置いていかれてしまった。要するにめちゃくちゃな落ちこぼれであった。思い出すだけでも死にたくなる生活。毎日吐くまでコーヒーを飲んでも起きていられず、廊下ですれ違う人と目が合ってぎょっとされる。駅で知らないお婆さんに同情され、母親には女の子なのにごめんねと泣かれる。教師に叱られた通り、自分の心の弱さがいけないと思っていた。もうなんでもいいから自分を罰したくて、罰を受けることで生きていてもいいと思いたくて自傷にはしっていた。趣味の絵を描いている時間だけが命の救いだった。何度も自分が色々な方法で死ぬ絵をかいていた。
遺書を用意して自殺する方法を書き連ねて、そこで悩んでしまった。どうやって死のう。
手っ取り早いのは飛び込みだったがあれは周りに迷惑がかかりすぎると思った。死ぬ時くらい安らかに逝きたい。色々悩んでいるときにふと首をじんわり絞めると、物凄く気持ち良い!本当は気持ち良い訳がないのだが、その時は本当に身体全体がふわりと軽くなったと思った。それから私は、自分の首をじわじわと絞めるのがクセになった。本当に死にたい脳が、死を感じる瞬間に快感を与えてくれるなんて人間って本当に不思議だ。
怒涛の青春時代だったのでそこからどう生きてきたのかもはや朧気だが、タイミングを逃しまくり運良く?悪く?結局生きている、といった感じである。今はもうほとんど落ち着いて、人間らしい生活を送っている。やりたいことも見つけた。おかげで現在午前3時、膨大な知識を脳みそに詰め込んで必死に学んでいる。地獄が終わって良かった。本当に、良かった。
教師が苦手だ。トラウマになっているのだと思う。人の視線がダメだ。やっぱりこれもトラウマになってる。
この経験は誰からも理解されない。当事者じゃないからしょうがないのだ。自分の経験が理解されない代わりに、他人の経験も真に分かることはないと心から思う。だから私はこういう人達を助けることはできない。精神科にはどういう人が行くのかな。
病気によって顔が醜くなることで鬱病にかかり 死んでしまう患者さんが多いと聞いた。それを聞いた周りは全くピンとこない顔であった。直接死に繋がるような病気の話の後だったから、なにもそんな外見くらいで死ぬこたないじゃんって空気だった。その話の間、私はずっとこわばった顔を上げられなかった。直接的なものだけが、死に至る病ではない、と思う。
生きるのって本当に難しいし、他人は理解できないから気持ち悪くて怖いし、視線を恐れすぎていつも誰かに見られているような居心地の悪さがある。電車の床に崩れるように寝てしまう学生に席を譲ってくれた人はいなかった。私の顔を見てぎょっとした後思わずといった感じで声をかけた新任教師は、口をパクパクさせたあと何故か謝ってどこかへ行ってしまった。それでも、それでも私は何も変わらず一緒にふざけてくれる友達に救われたし、絵を描く間は生きているのが楽しくて、私は今、誰かを地獄から救いあげれるような人間になりたい。私は理系クソバカ人間なので、人の気持ちを言葉だけで上手く軽くしてあげることはできない。勉強しなきゃ私に人は救えない。地獄って本当に怖いのだ。それだけは知ってるので、勉強に戻る。
今日のうんこはクセーな

6

なんで女に生まれたんだろうな、と舌打ちをすることがある。人生で何度も。明らかに性別なんて関係ない分野で性別による理不尽な差別を受け、声をあげるとこれだから女は面倒くさいと言われるのだ。ちなみに黙っているとクソジジイめいい気になって女はいつも〜女のくせに〜と続く。憤慨して友達に愚痴ると、面白いことに男の友達は、そんなにそう言われるのがムカつくの?と苦笑いしていた。気にしなきゃいいじゃん、と。1回チンコ蹴っとけば良かったな。痛いチンコだって気にしなきゃいいもんね。一応言っておくが平成の話だ。
別に今流行りの女性差別ガ〜という話だけではない。男性だってこういう経験ある方いると思う。この前冗談でオトコノクセニ〜と言った時、友達と2人で吹き出してしまった。なんて前時代的で根拠も中身もない言葉!でも私自身がほんの少し前にもっともらしい真面目な顔で、あろうことか根拠や論証を重視すべき理系教育者の方に言われたのだ。女のくせに!と。
界隈で権威のある面接練習の講座に出た時「出産や結婚は考えていますか?」と聞かれた。大変女性研究者の育成に力を入れてらっしゃるとパンフレットに書いてある所だったので「はい。両立できるように頑張ります!と答えた。」するとするとだ。「君、受かりたかったらいいえ。今のところ研究に専心したいので、そのような予定はありません。と答えなきゃ。タダでさえ女性は受かりにくいんだから。分かるよね?」と言われた。びっくりしたね。全然分からんわ。じゃあ何のために女性研究支援云々かんぬん補助金もらってるの?試験はなんの為にあったの?パンフレットのあれは?じゃあ結婚出産願望ある女お断り!ってはじめから書いとけよ。そもそも人間の半分が女なのに、志願男女比だってそこまで顕著でもないのに、女性合格者があんなに少ないのおかしくない?まぁ結局男受験者がゲタを履かされてたって事実が明るみになったんですけど(笑)
その時に限らず受験期は様々な所で理不尽を突きつけられた。最初は憤慨していた私も最後には半ば諦めのように、現代日本で女に生まれた時点で学問への道は険しいのだと悟ったね。あの時はもう舌打ちする元気も跳ねっ返りもなかった。疲れきって、ただただ女に生まれたことが悲しくて仕方なかった。学問は平等だと信じていたかったのだ。
まぁこれは私が未だ男性有利の界隈に身を置いているから感じた理不尽だと思う。女性有利の界隈ではきっと同じことを感じてる男性もいるはず。愚かな人間はまだまだ上に居座りやがるし、違和感を感じないような微弱な洗脳は長い時間をかけ今も積もっている。よく考えるとたかが性別如きでここまで多くの理不尽が生まれるのもおかしな話だよな。男女差でいう向き不向きって出産とよっぽどの肉体労働の話だけじゃないか?たかがと思ってしまうのは私が正直あまり性別を意識して友人関係や恋人関係を構築しない人間であるというのも理由の一端かもしれないけれど。
あとまぁこれは単に最近思うことなのだが、女性の性犯罪に遭遇する率高すぎやしないか?私含め周りの女性全員が数回は痴漢やら何やらされた経験があるの、単純に性犯罪者が多いのか?冷静に考えて比的にも数的にも狂ってると思うのだけれども。最近は冤罪ガー云々と話題になってるのでそれも怖い。まぁ痴漢の実体験数に対して実際周りで痴漢冤罪をかけられた経験がある男は1人もいないんですけど(笑)
こういう憤慨をしたためた毒素多めオシッコは海に放尿するに限る。やっぱりなんで女に生まれちゃったかな。べつに男に生まれたってこれら全てがなくなる訳でもないんだろうけれども、エレベーターで2人になっただけで警戒しなくてもいい人間になりたい。性別なんて関係なく、友達の家で遊びたい。学びたいものを正当な実力で勝ち取りたい。至って普通で、幼い頃は当たり前に成されるものだと思っていたことが案外難しいらしいのだと大人になって思う。忘れちゃいけないのは、男ガー女ガーではなく、悪い人間は男にも女にもいて、良い人間も男女両方にいるということだ。ただ性犯罪者は多すぎると思うけどね

5

男女の友情はあるだろうか、私はないと困ると思っている。簡単に考えて人間の半分が異性なのだ。そんなに人間関係とは乏しいものなのか?友情は同性間、異性間は恋情しかないのか?
恋愛脳も程々にしてくれと願ってやまない。たしかに他人のロマンスは憧れるものがあるかもしれない、が、勝手なロマンスを捏造するのはまた違った話ではないでしょうか。クソったれ。
自分自身が異性も同性も本気で好きになったことのある人間だから友情の判定が性別に囚われなさすぎるのかもしれない。疑心暗鬼になる程には世間の恋愛脳に悩まされている。節操がないのはバイセクシャルヘテロセクシャルどっちだろうか。何にせよ相手が同性だろうが異性だろうが、根も葉も(気も)ない噂をたてられる事ほど怒りを覚え気味が悪くなることはない。考えただけでも気持ちが悪い。
この噂が、自分がバイセクシャルで今は同性の知り合いに首ったけだと明かせば全てが気持ち悪くなる位に収束するであろうことも本当に気持ちが悪いのだ。ついでに私がちょっとアレな性別感を持っているという噂が流行し、私の友達はごっそり減るだろう。世間は昔より寛容になったものの、マジョリティの意見が常識と括られているのは仕方がないとは思う。理性では分かっているが、想像すると気が滅入るのはしょうがないよね。偏見に満ちた目で見られるのはごめんだ。
男女のロマンス的な噂に辟易していると言うと茶化されるのも、正直腸が煮えくり返る程ムカつく。気にしなきゃいいじゃん、言わせとけば? 正直満更でもないんでしょ?なんでそんなに気にしてるの?いっそホントに付き合っちゃえば? 空気が、表情が、言葉端が、私にプレッシャーをかけてくる。これは何ハラスメントなのか、私は相も変わらず理系クソ馬鹿学生なので全く分からないのだが、これがれっきとしたハラスメントなのは分かる。毎日毎日違う友人に噂の真偽を問われた旨の報告(それぞれ軽い気持ちでの雑談であり、悪意は感じられない)をされる(部の先輩は既に信じきっていた!クソ理系村社会ガッコーとはいえ違う学年にも噂が流れているのヤバすぎないか?他人の恋愛模様ってそんなにエンターテイメント性があるのか?)状況に気が滅入らない人間がいるだろうか。顔どころか名前すら聞いたことのない人間がありもしない私のロマンスで今も盛り上がっているのかもしれないのだ。まず名を名乗れ。名を。
そもそも友情でしかないものをロマンスに捏造されるのは本当に精神に迫るものがある。相手方にも申し訳ないし、>友人として<は本当に良い人なので邪険にするのも気が引ける。かといって、特段スキンシップをとったりする間柄でもないのに噂を立てられているという事実が、なんのことはない挨拶や日常会話すらも噂のネタになるのではないかという恐怖に繋がる。相手に全く非はないのに横に並ぶだけで人目が気になり、呼吸がしづらくなる。何が悪かったのだろうか。異性と話が弾んでいたからか。異性と友達になったからか。異性と友達になれないからか。
私が怒るべきは、立ち向かうべきは、なんなのだろうか。敵の姿が掴めない。世界は気持ちが悪い。
理解が及ばない部分が多すぎて頭が混乱している。まとまりもクソもない文章になってしまった。とっちらかっててウケるな。